G&Jディスティラーズ
G&J Distillers
基本情報
| 所在地 | イングランド・チェシャー州ウォリントン(バーチウッド)。The Gin Guildの記載は Melbury Park, Clayton Road, WA3 6PH[1][2] |
|---|---|
| 蒸溜の始まり | 1761年(トーマス・ダキン)[2][3] |
| グループ | Quintessential Brands Group(2026年9月時点。加わったのは2011年)[4][2][1] |
| マスターディスティラー | ジョアン・ムーア(7人目)[5][1] |
| 主なジン | グリーナルズ、OPIHR、BLOOM、トーマス・ダキン、バークレー・スクエア[1][5][4] |
| ボトリング | 年間8,000万本、3ライン(各毎分400本)。会社の紹介による(2026年9月時点)[4] |
目次
1761年、ウォリントンで始まったジンづくり
G&Jディスティラーズは、イングランド北西部にあるジンの蒸溜所。場所はウォリントンです。つくるのは、OPIHR、グリーナルズ、BLOOMなど。会社は、25歳のトーマス・ダキンがジンづくりを始めた1761年を出発点とし、260年以上続く蒸溜所だと紹介しています。[2][1][4]
Difford's Guideによると、ダキンは1760年にウォリントンのブリッジ・ストリートへ場所を構えましたが、不作を受けて政府がジンの製造を禁じたため、開始が遅れました。始まったのは1761年です。[3]
The Gin Guideによると、ダキンはジンの製造と販売を軌道に乗せ、1780年代にはグリーナル家との関係を築きました。次の主は、そのグリーナル家です。1860年、ダキン家は蒸溜所を貸しました。借りたのは、ギルバートとジョンのグリーナル兄弟です。10年後に2人が買い取り、「G&Jグリーナル」の名が生まれました。Difford's Guideによれば、1894年に会社が法人化され、ダキンの「ウォリントン・ジン」はグリーナルズと改称されましたが、レシピはダキンの1761年のものを守ったままだといいます。[6][2][3]
移転と火災
移転は、ジンの人気の高まりを受けたものだと、Greenall's公式は書いています。時期は1960年で、行き先はグリーナル醸造所の向かいの広い敷地ですが、Difford's Guideは1961年、場所はウォリントン郊外のラウシャーズ・レーンとしています。新しい大型の蒸溜器と最新のボトリング棟、倉庫。これらが受託の蒸溜を広げる土台になった、と同誌は説明します。[2][3]
2005年、火災が起きます。被害の範囲は、資料で違います。Difford's Guideは、焼けたのはボトリング棟で蒸溜棟は救われたと書き、Greenall's公式は、蒸溜所が火災で焼失したと書いています。その後、新しいボトリング棟と2つの蒸溜棟が建てられ、1960年代の銅の蒸溜器が収まったと、Difford's Guideは書いています。2008年、バーチウッドに新しい拠点が開いた(Greenall's公式)。移転先について、Difford's Guideはリズリーとしています。[3][2]
2011年にグループへ。社名は2013年にG&Jディスティラーズへ
2011年、G&J Greenallは Quintessential Brands Group に加わります。社名が変わったのは2013年8月で、新しい所有者のもとでG&Jディスティラーズになったと、Difford's Guideは書いています。[2][1][3]
その年の10月に、OPIHRが発売されます。発売発表は、蒸溜所を「イングランドで最も古い蒸溜所のひとつで、250年の伝統がある」と紹介しました。2026年9月時点で、グループの採用サイトは、ウォリントンの蒸溜所をグリーナルズ、OPIHR、BLOOMのジンをつくる拠点として載せています。[7][4]
7人目のマスターディスティラー、ジョアン・ムーア
ムーアの出発点は、品質管理です。1996年に学位を取り、G&Jディスティラーズで働き始めました。The Gin Guideによると、その後に蒸溜の仕事へ移り、2006年、7人目のマスターディスティラーになっています。本人は自分を「偶然の蒸溜家」と呼びます。目指した道ではなかった、とも話しています。[5]
同誌が挙げるムーアのジンは、OPIHR、BLOOM、バークレー・スクエア。それにトーマス・ダキン。Greenall's公式は、グリーナルズを「7代のマスターディスティラーの技で、260年以上蒸溜してきた」ジンだと紹介しています。[5][2]
ジンの製造と、受託の蒸溜・ボトリング
グループの採用サイトによると、ウォリントンのボトリングは年間8,000万本で、3つのラインがそれぞれ毎分400本を詰めます(2026年9月時点)。仕事は自社のジンだけではありません。ほかの会社の蒸溜酒を受託してつくり、瓶に詰めることもあります。専門チームもあります。白いスピリットをオーダーメイドで開発する部署だと、The Gin Guildは紹介しています。[4][1]
The Gin Guildには、この蒸溜所が「世界で2番目に大きいジンの蒸溜所で、英国で飲まれるジンの40%をつくっている」という会社の言葉が載っています。数字は会社の言葉です。2016年5月のGin Foundryは、英国で2番目に大きい蒸溜所で、年間700万ケースのスピリットをつくると書いています。[1][8]
つくり方の一端は、同じ蒸溜所のグリーナルズ ジンから分かります。Greenall's公式によると、ボタニカルは量って銅の蒸溜器に手で入れ、そこへグレーンスピリットとチェシャー平野のふもとの水を加えて、蒸気で温め、香りの成分を気化させます。蒸溜液は、初めと終わりを捨てます。使うのは中心の部分だけ。[9]
Difford's Guideは、グリーナルズのボタニカルを8種類とし、小麦のスピリットと精製水とともにポットスチルに入れて、少なくとも24時間置いてから蒸溜すると書いています。The Gin Guideは8時間以上とし、資料で違います。OPIHRの蒸溜器と工程は、今回の資料では確認できません。[10][6]
年表
| 1761年 | トーマス・ダキンがウォリントンで蒸溜を始める[2][3] |
|---|---|
| 1860年 | ダキン家が蒸溜所をギルバートとジョンのグリーナル兄弟に貸す[2] |
| 1870年 | グリーナル兄弟が蒸溜所を買い取る(貸借から10年後)[2] |
| 1894年 | G&Jグリーナルが法人化。ダキンのウォリントン・ジンは「グリーナルズ」に改称[3] |
| 1960〜1961年 | より広い敷地へ移転(Greenall's公式は1960年、Difford's Guideは1961年でラウシャーズ・レーン)[2][3] |
| 1996年 | ジョアン・ムーアが品質管理の担当として入社[5] |
| 2005年 | 火災が起きる[3][2] |
| 2006年 | ムーアが7人目のマスターディスティラーになる[5] |
| 2008年 | バーチウッドに、新しい拠点が開く(Greenall's公式)[2] |
| 2011年 | G&J Greenallが Quintessential Brands Group に加わる[2][1] |
| 2013年8月 | 新しい所有者のもとで、社名がG&Jディスティラーズに変わる(Difford's Guide)[3] |
| 2013年10月 | OPIHR Oriental Spiced Ginを英国で発売[7] |
| 2019年9月 | OPIHRの地域エディション3種を発表[11] |
G&Jディスティラーズの銘柄
参考資料
- The Gin Guild(G&J Distillers from Quintessential Brands)
- Greenall's Gin 公式(The History of Greenall's)
- Difford's Guide(G&J Distillers History)
- Quintessential Brands Group 採用サイト(G&J Distillers ウォリントン)
- The Gin Guide(Joanne Moore: Meet the Maker)
- The Gin Guide(Behind the Scenes at Greenall's Distillery)
- Quintessential Brands Group 公式(2013年10月の発売発表)
- Gin Foundry(Opihr Gin Review, 2016年5月)
- Greenall's Gin 公式(Discover)
- Difford's Guide(Greenall's Original London Dry Gin)
- Quintessential Brands Group 公式(2019年9月の発表)
最終更新:2026-09-29 内容の誤りを知らせる