DISTILLERY

ヘルマン・ヤンセン蒸溜所

Herman Jansen Beverages (Distillery De Tweelingh)

基本情報

所在地オランダ・スキーダム、ザイルストラート6番地(3111 PS)[1]
創業1777年(当初はパン屋向けの酵母をつくっていた)[1]
運営ヤンセン家。ディック・ヤンセン(孫、4代目とされる)、マスターディスティラーはアド・ファン・デル・レー[1]
蒸溜器銅製ポットスチル(3,000リットル)。連続式1基は使用停止[2]
主な製品ジュネヴァ「ノタリス」(モルトワイン100%、4回蒸溜)[1][2]
ジンの受託・共同開発ボビーズ ドライ ジンなど[1][3]

目次

  1. 酵母づくりから始まった、1777年創業の家族経営
  2. モルトワイン100%のジュネヴァ「ノタリス」と、4回の蒸溜
  3. ボビーズとの関係
  4. ジュネヴァの町スキーダム
  5. 年表

酵母づくりから始まった、1777年創業の家族経営

ヘルマン・ヤンセンは、オランダのスキーダム、ザイルストラート6番地にある蒸溜所です。Difford's Guideによれば、創業は1777年。同誌は「Herman Jansen Beverages, Distillery De Tweelingh」の名で載せています。[1]

始まりは、蒸溜酒ではなくパン屋向けの酵母づくりでした。当時の税の規則の関係で、副産物としてモルトワインをつくるようになった、とDifford's Guideは書いています。[1]

同じ資料は、掲載時点の運営者をディック・ヤンセンと紹介しています。孫にあたり、家業は4代目だとされています。マスターディスティラー(蒸溜の責任者)のアド・ファン・デル・レーと、妻の助けを得て経営していると書かれています。所有者としては、UTO Nederland BVの名が挙がっています(掲載年は不明)。[1]

モルトワイン100%のジュネヴァ「ノタリス」と、4回の蒸溜

Difford's Guideが自社ブランドとして挙げるのは、ジュネヴァ「ノタリス(Notaris)」です。Difford's Guideによると、原酒は100%モルトワインで、中性のアルコールは加えません。熟成させないタイプのほか、3年、10年、15年の熟成品とヴィンテージ品があります。[1]

仕込みの穀物は、多くの製品でトウモロコシ、ライ麦、大麦麦芽が3分の1ずつです。発酵では穀物のかすを取り除かず、タンクに全部入れます。そのほうが風味の成分が多くできて、仕上がりが豊かになるから、と同じ資料は説明しています。[2]

ノタリスは4回蒸溜します。最初の2回は、ヘッド(最初に出る部分)、ハート、テール(最後に出る部分)を分けません。3回目からは切り分けが入ります。蒸溜器は容量3,000リットルの銅製ポットスチルです。1回目に使うものは首が短く、風味をできるだけ引き出すための設計だといいます。2回目以降に使う同様の蒸溜器には、棚段(プレート)付きの頭部があり、2・3回目は開いた状態、4回目は1〜4枚のプレートで閉じた状態にします。連続式の蒸溜器も1基ありますが、掲載時点では使っていないとされています。[2]

Difford's Guide掲載時点では、ノタリスを「ジンとウイスキーをつなぐ、失われた歴史の輪」として位置づけ、輸出に力を入れています。度数は、国際市場で混乱しないよう、また新しい製法の滑らかさを反映して、35%から40%に上げたそうです。[1]

ボビーズとの関係

ヘルマン・ヤンセンは、自社ブランドのほかに、共同開発や受託の製品もつくっています。Difford's Guideは、その例にボビーズ ドライ ジンを挙げています。Gin Foundryによれば、ボビーズのセバスティアン・ファン・ボッケルは、ブランドをこの蒸溜所と共同で所有しています。[1][3]

ボビーズのドライジンは、ボタニカルを1種類ずつ別々に蒸溜し、その容量は600リットルまたは3,000リットルの銅製ポットスチルとされています。ブランドのピナン・ラチ専用サイトによると、ピナン・ラチ・ジンの調合は、創業者の孫2人と、ヘルマン・ヤンセン、マスターディスティラーのアド・ファン・デル・レーで進めました。70を超える試作を重ねた末に、「ピナン・ラチ・スパイスブレンド No.1」に行き着いたそうです。[3][4]

Difford's Guideは、ヘルマン・ヤンセンがジュネヴァ博物館と組み、スキーダム流のジュネヴァをつくっているとも書いています。[5]

ジュネヴァの町スキーダム

スキーダムは、Difford's Guideによれば、マース川の河口に近く、北海の港を持っていました。そのため大きな穀物の取引所が育ち、原料も出荷手段も手に入りやすかったといいます。町の蒸溜所は1882年に394にまで増え、ジュネヴァは「オランダのジン」として欧州各地と米国に出荷されました。[6]

その後は、減る一方でした。連続式蒸溜が広まって大規模な蒸溜所が有利になり、1945年にはジュネヴァの蒸溜所が38になりました。同じ資料は、稼働する蒸溜所を4つとしています(掲載年は不明)。名前が挙がるのは、そのうちノレット蒸溜所です。[6]

The Scotsmanは、かつて18〜19世紀の蒸溜所に穀物を挽く風車が20基あったと書いています。町に残る風車には、1794年にさかのぼるものもあるそうです。[7]

年表

1572年ごろシルヴィウス教授が穀物のスピリッツにジュニパーの油を加え、ジュネヴァのジュネーヴルと名づけて薬として使う[8]
17世紀スキーダムが漁村から穀物蒸溜の中心地へ変わる[8]
1777年ヘルマン・ヤンセンが創業。パン屋向けの酵母をつくり、副産物でモルトワインをつくる[1]
1882年スキーダムの蒸溜所が394に達する[6]
1945年スキーダムのジュネヴァ蒸溜所が38に減る[6]
2012年ブランドによると、セバスティアン・ファン・ボッケルが祖父ボビーの古い瓶を見つける[3]
2014年ボビーズ ジンが登場[9][3]

ヘルマン・ヤンセン蒸溜所の銘柄

参考資料

  1. Difford's Guide(Herman Jansen Beverages 沿革)
  2. Difford's Guide(Herman Jansen Beverages 製法)
  3. Gin Foundry
  4. Bobby's Pinang Raci(公式サイト)
  5. Difford's Guide(Herman Jansen Beverages カクテル)
  6. Difford's Guide(Nolet Distillery 所在地・スキーダムの歴史)
  7. The Scotsman(スキーダム紹介記事)
  8. Difford's Guide(ジンの歴史 1572年〜1600年代初頭)
  9. About Drinks(David Blom へのインタビュー)

最終更新:2026-09-29 内容の誤りを知らせる